2012年03月24日
錦織圭、2012マイアミ初戦の勝利の味は?
もう、ドキドキして、結果を知るのがこわかったです!
えっ!何のことかって?
今、マイアミで開かれている
ソニー・エリクソン・オープンでの
錦織圭の初戦のことです。
今年に入っても快進撃を続けています。
今年(2012)1月の全豪オープンでは
ベスト8に進出。
ブエノスアイレスでのクレーコートでも
準々決勝でワウリンカに敗れるまでは
決勝戦まで行くのでは、と期待していました。
それでも、錦織選手はクレーでの手ごたえを
確かなものにした、いい大会であったという
ようなコメントをしていたと思います。
すこし、前途に不安を感じさせたのは
次に出場したアカプルコでの大会に
初戦でフランスのシャルディという
選手に不覚な負け方でその試合を失って
しまいました。
つづく、インディアン・ウェルズでの
バリバ・オープンでも、今までに
勝っているコロンビアのサンチャゴ・ヒラルドに
初戦で敗れてしまいました。
シャルディに負けたときには
ラケットを踏みつけたりして
それを彼のブログのコメント欄で
きびしく非難する人もいました。
たとえば、ここに全文を引用するのは
もともと公開されているコメントなので、
問題はないと勝手に判断してですが、
このようなものでした。以下そのコメントの
全文引用です。
「ラッケット折るという報道を見ました。
競技者としてはどうなんでしょう?
錦織さんが負けるのは当然です。
応援する気持ちが一気に冷めました。
ラケットを作った人も、残念な気持ちで一杯だと思います。
もし、報道(たたき付けて折る)が事実なら.....」
他にも錦織のコート上でのマナーを責めたり、諌めたりの
コメントがあります。
選手も大変です。敵はコート上だけではありません。
世界中に敵ができます。
観客の中にももちろん敵がいます。
メディアも時には敵に回ります。
ファンの中にも気まぐれな人もいるでしょう。
いちいちそれらの数限りない敵に
丁寧に付き合っていては身が持たないでしょう。
錦織選手は、わたしの見るところ(なんか僭越な表現?)
どんな敵にも、たまには驚くかもしれませんが、おびえて
動けなくなったり、劣勢になったりする人間ではないようです。
私は、自身が気が弱く、周りの敵意に怯んでしまう
人間なので、最近の連続の敗戦が彼のメンタルに
よくない影響を及ぼしたかもしれないとおもい、
このマイアミでの初戦が楽しみでもありましたが
とても心配でした。もし連続で初戦を落とすようなら
立ち直るのに苦しむかもしれないし、ラケットの件で
錦織を諌めた人たちは、それ見たことか、と勢いずく
のでは、と怖かった。つまり錦織選手が自らを劣勢に
追い込むのではと、少しではあるが不安だった。
だから、この初戦の結果を見るのがハラハラドキドキで
怖かった。ほんとうに勝ってくれてありがとう!
君のメンタルは、つまり頭も肝もタフだということを
改めて確信できました。一瞬でも疑ったのは悪かった。
そうは言っても、錦織選手にとってもこの初戦の勝利は
今後に大きな影響をもつ一勝ではないだろうか。
選手生活のなかでは様々な勝利があるだろうが
ジョコビッチ君やツォンガ君から得た勝利以上に
大きな勝利であったのではないだろうか。
そんな気がするのは私だけかな。
今後の躍進が眼に見えるようだ。
先ほど、紹介した、選手のコートマナーを
諌めるコメントたちを読んで、私は、つぎの
ようなコメントをしてしまいました。
これも、錦織選手のブログのコメント欄からの
コピペですが、紹介しておきます。
「ラケットはテニス選手にとって自分自身の分身、
いや正真正銘の自分自身であるかもしれない。
ひょっとしたら、自分自身よりももっと自分自身で
あるかもしれない。
選手がラケットをたたき折る行為に対しての批判には
最もだと思われる筋もあるが、批判をする人も自分自身が
選手だったらどうだろうかと考えてほしい。
我々が思う以上に選手は自分の行為を恥じていると思う。
出来れば選手は自分自身を叩き折りたい気持ちであるだろう。選手がラケットに暴力を振るうのは、自分自身にも観客にもどんなに自分が自分自身に怒っているかを示したい気持ちがあるからかもしれない。そして、それをやることによって一番傷つくのは選手自身であることは、選手自身が一番分かっていることだと思う。それでも選手がそれをやるのは、それをやらなければ収まりのつかない何かがあるからだろう。それをやらなければもっともっと恥ずかしい行為をしてしまいそうな精神状態を、その行為によって必死に防いでいるのだと思う。叩き折りながら、心の中では号泣しているにちがいない。
だからといって選手はそれを正当化をしたりはしない。
錦織選手も自分の行為については言い訳はしないと思う。
壊されたラケットは壊した選手を恨むだろうか、ラケットの製作者はその製品を破壊した選手に復讐を企てるだろうか。
ラケットも製作者もラケットに対する選手の愛情
を知っていると思う。その愛情が一瞬の怒りの中で
暴力に変身することは人間だれにでも
あることではないだろうか。
非難する人たちの気持ちや理屈は理解できる。
しかし極限状態にある選手の行動は正しいか間違って
いるかは別としてそれなりに受け入れることの出来る
ものではないだろうか。
そういう行為を見て、鬼の首でもとったかのように、
以後応援する気にはなれなくなったとおっしゃる方
もおられるようだが、英雄に聖人君子を押し付けるのは
返って迷惑ではないだろうか。」
えっ!何のことかって?
今、マイアミで開かれている
ソニー・エリクソン・オープンでの
錦織圭の初戦のことです。
今年に入っても快進撃を続けています。
今年(2012)1月の全豪オープンでは
ベスト8に進出。
ブエノスアイレスでのクレーコートでも
準々決勝でワウリンカに敗れるまでは
決勝戦まで行くのでは、と期待していました。
それでも、錦織選手はクレーでの手ごたえを
確かなものにした、いい大会であったという
ようなコメントをしていたと思います。
すこし、前途に不安を感じさせたのは
次に出場したアカプルコでの大会に
初戦でフランスのシャルディという
選手に不覚な負け方でその試合を失って
しまいました。
つづく、インディアン・ウェルズでの
バリバ・オープンでも、今までに
勝っているコロンビアのサンチャゴ・ヒラルドに
初戦で敗れてしまいました。
シャルディに負けたときには
ラケットを踏みつけたりして
それを彼のブログのコメント欄で
きびしく非難する人もいました。
たとえば、ここに全文を引用するのは
もともと公開されているコメントなので、
問題はないと勝手に判断してですが、
このようなものでした。以下そのコメントの
全文引用です。
「ラッケット折るという報道を見ました。
競技者としてはどうなんでしょう?
錦織さんが負けるのは当然です。
応援する気持ちが一気に冷めました。
ラケットを作った人も、残念な気持ちで一杯だと思います。
もし、報道(たたき付けて折る)が事実なら.....」
他にも錦織のコート上でのマナーを責めたり、諌めたりの
コメントがあります。
選手も大変です。敵はコート上だけではありません。
世界中に敵ができます。
観客の中にももちろん敵がいます。
メディアも時には敵に回ります。
ファンの中にも気まぐれな人もいるでしょう。
いちいちそれらの数限りない敵に
丁寧に付き合っていては身が持たないでしょう。
錦織選手は、わたしの見るところ(なんか僭越な表現?)
どんな敵にも、たまには驚くかもしれませんが、おびえて
動けなくなったり、劣勢になったりする人間ではないようです。
私は、自身が気が弱く、周りの敵意に怯んでしまう
人間なので、最近の連続の敗戦が彼のメンタルに
よくない影響を及ぼしたかもしれないとおもい、
このマイアミでの初戦が楽しみでもありましたが
とても心配でした。もし連続で初戦を落とすようなら
立ち直るのに苦しむかもしれないし、ラケットの件で
錦織を諌めた人たちは、それ見たことか、と勢いずく
のでは、と怖かった。つまり錦織選手が自らを劣勢に
追い込むのではと、少しではあるが不安だった。
だから、この初戦の結果を見るのがハラハラドキドキで
怖かった。ほんとうに勝ってくれてありがとう!
君のメンタルは、つまり頭も肝もタフだということを
改めて確信できました。一瞬でも疑ったのは悪かった。
そうは言っても、錦織選手にとってもこの初戦の勝利は
今後に大きな影響をもつ一勝ではないだろうか。
選手生活のなかでは様々な勝利があるだろうが
ジョコビッチ君やツォンガ君から得た勝利以上に
大きな勝利であったのではないだろうか。
そんな気がするのは私だけかな。
今後の躍進が眼に見えるようだ。
先ほど、紹介した、選手のコートマナーを
諌めるコメントたちを読んで、私は、つぎの
ようなコメントをしてしまいました。
これも、錦織選手のブログのコメント欄からの
コピペですが、紹介しておきます。
「ラケットはテニス選手にとって自分自身の分身、
いや正真正銘の自分自身であるかもしれない。
ひょっとしたら、自分自身よりももっと自分自身で
あるかもしれない。
選手がラケットをたたき折る行為に対しての批判には
最もだと思われる筋もあるが、批判をする人も自分自身が
選手だったらどうだろうかと考えてほしい。
我々が思う以上に選手は自分の行為を恥じていると思う。
出来れば選手は自分自身を叩き折りたい気持ちであるだろう。選手がラケットに暴力を振るうのは、自分自身にも観客にもどんなに自分が自分自身に怒っているかを示したい気持ちがあるからかもしれない。そして、それをやることによって一番傷つくのは選手自身であることは、選手自身が一番分かっていることだと思う。それでも選手がそれをやるのは、それをやらなければ収まりのつかない何かがあるからだろう。それをやらなければもっともっと恥ずかしい行為をしてしまいそうな精神状態を、その行為によって必死に防いでいるのだと思う。叩き折りながら、心の中では号泣しているにちがいない。
だからといって選手はそれを正当化をしたりはしない。
錦織選手も自分の行為については言い訳はしないと思う。
壊されたラケットは壊した選手を恨むだろうか、ラケットの製作者はその製品を破壊した選手に復讐を企てるだろうか。
ラケットも製作者もラケットに対する選手の愛情
を知っていると思う。その愛情が一瞬の怒りの中で
暴力に変身することは人間だれにでも
あることではないだろうか。
非難する人たちの気持ちや理屈は理解できる。
しかし極限状態にある選手の行動は正しいか間違って
いるかは別としてそれなりに受け入れることの出来る
ものではないだろうか。
そういう行為を見て、鬼の首でもとったかのように、
以後応援する気にはなれなくなったとおっしゃる方
もおられるようだが、英雄に聖人君子を押し付けるのは
返って迷惑ではないだろうか。」
投稿者 テニスに死す 22:39 | コメント(0)| トラックバック(0)
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