tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

テニスに死す テニスを通じて生きる力を何とか保持する崖っぷちのオールドビジネスマンがテニスと仕事に関しての日ごろの感想を取りとめもなく綴らせてもらいます。テニスコートは半分死にかけの陸にあがったうなぎ野郎にとっての辛うじて残された水溜りですな。言ってみれば。

最近の記事
ナダルに外交辞令を許…
03/29 02:14
最近のコメント
fds1213fds…
iphone バッテリー 01/19 01:51
Moncler(モン…
ダウンジャケット 11/11 16:19
グリーにハマっている…
グリー 12/21 12:27
はじめまして。と…
モモビラス 08/03 00:31
最近のトラックバック
fTsanをフォローしましょう
このブログサービスは「テニス365 テニスブログ」で運営しています。テニス365会員なら無料でご利用・作成いただけます。







ナダルに外交辞令を許さなかった錦織圭

金星と月と木星の黄金色のペンダントが

西の夜空に懸かっているの見たときに感じた

錦織勝つの予感は残念ながら、実現しませんでした。

ナダルとの戦いは6-4、6-4のストレート負けでした。

スポーツナビの内田暁さんの記事を読んでください。

この記事は感動的です。

「錦織がこの試合で何をし、何を求めているかは、最初の

ラリーで明らかだった。

(中略)錦織。彼は間違いなく善戦ではなく、勝利をつか

みにいった。」

錦織はただの善戦ではなく、勝利をつかみにいった、とい

う言葉にわたしは「ぐっ」と来ました。

リスクを負って攻める、という試合前の言葉通り、相手の

様子を伺うようなショットは一本もない、鬼気迫る集中力

で攻め立てる錦織の気持ちはコート一杯に表現されたよう

だ。

テニスに限らずであろうが、勝負を決めるのは

力や技以上の何かが関与してくる。

最大のパーフォーマンスを生み出すのを邪魔する

厄介なものをどう扱うかが今後といわず常々の

課題になるようだ。

内田さんは邪魔者の介入を次のように書いておられる。

「試合開始から、既に約30分。咳払いをするのもためら

われる程の高質な攻防の中で、一歩先んじたのは、錦織の

方だった。

だが、心技体全てをぎりぎりまで張りつめた戦いの中で、

先に精神の糸に緩みが生じてしまったのも、錦織の方だっ

た。」

錦織はつぎのようにそこのところを述べているそうだ。

「攻めて攻めてブレークしたので、少し迷いが出た。

リードしているからこそ攻めなくてはいけないのに、

守りに入ってしまった。気持の部分が大きかったと思う」

確かに、いかにプロとはいっても攻めるのは体力も

精神力も消費する、出来ればそういう力は少しでも

温存しておいて、一番必要なところで最大限発揮できる

ようにしたいという気持ちが出てくるのだろう。

だからこそ、一旦ブレークして相手をリードしたら

いわば、凪のなかをゆったり進むがごとくに

コートの上を、気持ちの上でたゆたいながら

リードを守ってゆきたいという気持ちがわずかでも

働くのかもしれない。それを錦織選手は「少し迷いが出

た」

という言葉で表現しているのかもしれない。

しかし、そういう「迷い」は一瞬的なものであるのだろう



そこにつけいる隙を見出す相手も相手だ。

こういうレベルのテニスは真剣勝負のような際どさに

満ちている。だからこそ意識に仕事をさせたらダメなの

だ。

いかに意識に邪魔させないで、自己の肉体のパーフォーマ

ンスを最大の極限までもってゆけるかが勝敗を分けるのだ

ろう。

残念だが負けは負け、しかしナダルを相手に勝ちにいって

の負けなのだから、まだ力が足りないともいえるかもしれ

ないが内田さんの次の言葉にはたとえ錦織は敗れたとはい

えども錦織ファンには勝利に近い喜びを与えてくれるもの

だ。

「試合終盤に見せたナダルを翻弄(ほんろう)するプレー

の数々は、天賦の才である創造性に、大幅に上昇したフィ

ジカルが融合して生み出された、2012年型錦織圭の真

骨頂である」

そして、ナダル自身も以前のような「トップ10になれる

選手だ」というような外交辞令的なほめ言葉ではなく、実

感のこもった感想をもらしていること自体も錦織選手の成

長の証であるだろう。

詳しくは内田さんのブログを是非読んでください。





錦織圭 | 投稿者 テニスに死す 02:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

金星と月と木星が一列に並んだ夜に

昨日(2012/3/26)夜の7時頃、何気なく西の方角の

空を見ると、上弦の三日月が美しく輝いていて

その真上には月に負けないくらい明るく輝く一つの星

そして、月の真下には真上の星よりもすこし小ぶりな

星が、これまた明るく輝いて、月と二つの星の3つが

夜空に上下に一直線に連なって懸かっていました。

今日たまたま会った友人にそのことを話すと

上の星はいわゆる宵の明星と呼ばれている金星で

下のすこし小さく見えた星は木星だろうということでし

た。

写真をとっておけばここに公開できたのですが

あいにく撮ってありませんので残念です。

あのような現象はよく起こるものなのでしょうか?

私は始めて見たような気がします。

今、3月の28日午前0時45分です。

錦織選手はちょうどナダルとの戦いを

始めた頃なのでしょうか。

私はその実況放送を見ることができませんが、

昨日、いや、今の時点から言えば一昨日の

夜に西の空に見た、あの見事の夜空の金色の星と月の

整列は、あまりにも輝かしくて

立ち止まってじっと眺めていました。

今思うに、金星と月と木星の輝かしい

西の空に懸かったペンダントは

遥かマイアミのコートでの錦織の

歴史的な勝利の前触れかもしれない

と思うことにしました。

明日、試合の結果がどうでるか

私は、錦織に賭けます!

やってくれそうな気がします!

それでは、明日を待って寝ます。
錦織圭 | 投稿者 テニスに死す 00:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

錦織圭、2012マイアミ初戦の勝利の味は?

もう、ドキドキして、結果を知るのがこわかったです!

えっ!何のことかって?

今、マイアミで開かれている

ソニー・エリクソン・オープンでの

錦織圭の初戦のことです。

今年に入っても快進撃を続けています。

今年(2012)1月の全豪オープンでは

ベスト8に進出。

ブエノスアイレスでのクレーコートでも

準々決勝でワウリンカに敗れるまでは

決勝戦まで行くのでは、と期待していました。

それでも、錦織選手はクレーでの手ごたえを

確かなものにした、いい大会であったという

ようなコメントをしていたと思います。

すこし、前途に不安を感じさせたのは

次に出場したアカプルコでの大会に

初戦でフランスのシャルディという

選手に不覚な負け方でその試合を失って

しまいました。

つづく、インディアン・ウェルズでの

バリバ・オープンでも、今までに

勝っているコロンビアのサンチャゴ・ヒラルドに

初戦で敗れてしまいました。

シャルディに負けたときには

ラケットを踏みつけたりして

それを彼のブログのコメント欄で

きびしく非難する人もいました。

たとえば、ここに全文を引用するのは

もともと公開されているコメントなので、

問題はないと勝手に判断してですが、

このようなものでした。以下そのコメントの

全文引用です。

「ラッケット折るという報道を見ました。
競技者としてはどうなんでしょう?
錦織さんが負けるのは当然です。
応援する気持ちが一気に冷めました。
ラケットを作った人も、残念な気持ちで一杯だと思います。
もし、報道(たたき付けて折る)が事実なら.....」

他にも錦織のコート上でのマナーを責めたり、諌めたりの

コメントがあります。

選手も大変です。敵はコート上だけではありません。

世界中に敵ができます。

観客の中にももちろん敵がいます。

メディアも時には敵に回ります。

ファンの中にも気まぐれな人もいるでしょう。

いちいちそれらの数限りない敵に

丁寧に付き合っていては身が持たないでしょう。

錦織選手は、わたしの見るところ(なんか僭越な表現?)

どんな敵にも、たまには驚くかもしれませんが、おびえて

動けなくなったり、劣勢になったりする人間ではないようです。

私は、自身が気が弱く、周りの敵意に怯んでしまう

人間なので、最近の連続の敗戦が彼のメンタルに

よくない影響を及ぼしたかもしれないとおもい、

このマイアミでの初戦が楽しみでもありましたが

とても心配でした。もし連続で初戦を落とすようなら

立ち直るのに苦しむかもしれないし、ラケットの件で

錦織を諌めた人たちは、それ見たことか、と勢いずく

のでは、と怖かった。つまり錦織選手が自らを劣勢に

追い込むのではと、少しではあるが不安だった。

だから、この初戦の結果を見るのがハラハラドキドキで

怖かった。ほんとうに勝ってくれてありがとう!

君のメンタルは、つまり頭も肝もタフだということを

改めて確信できました。一瞬でも疑ったのは悪かった。

そうは言っても、錦織選手にとってもこの初戦の勝利は

今後に大きな影響をもつ一勝ではないだろうか。

選手生活のなかでは様々な勝利があるだろうが

ジョコビッチ君やツォンガ君から得た勝利以上に

大きな勝利であったのではないだろうか。

そんな気がするのは私だけかな。

今後の躍進が眼に見えるようだ。

先ほど、紹介した、選手のコートマナーを

諌めるコメントたちを読んで、私は、つぎの

ようなコメントをしてしまいました。

これも、錦織選手のブログのコメント欄からの

コピペですが、紹介しておきます。

「ラケットはテニス選手にとって自分自身の分身、
いや正真正銘の自分自身であるかもしれない。
ひょっとしたら、自分自身よりももっと自分自身で
あるかもしれない。

選手がラケットをたたき折る行為に対しての批判には
最もだと思われる筋もあるが、批判をする人も自分自身が
選手だったらどうだろうかと考えてほしい。

我々が思う以上に選手は自分の行為を恥じていると思う。

出来れば選手は自分自身を叩き折りたい気持ちであるだろう。選手がラケットに暴力を振るうのは、自分自身にも観客にもどんなに自分が自分自身に怒っているかを示したい気持ちがあるからかもしれない。そして、それをやることによって一番傷つくのは選手自身であることは、選手自身が一番分かっていることだと思う。それでも選手がそれをやるのは、それをやらなければ収まりのつかない何かがあるからだろう。それをやらなければもっともっと恥ずかしい行為をしてしまいそうな精神状態を、その行為によって必死に防いでいるのだと思う。叩き折りながら、心の中では号泣しているにちがいない。

だからといって選手はそれを正当化をしたりはしない。
錦織選手も自分の行為については言い訳はしないと思う。
壊されたラケットは壊した選手を恨むだろうか、ラケットの製作者はその製品を破壊した選手に復讐を企てるだろうか。

ラケットも製作者もラケットに対する選手の愛情
を知っていると思う。その愛情が一瞬の怒りの中で
暴力に変身することは人間だれにでも
あることではないだろうか。

非難する人たちの気持ちや理屈は理解できる。
しかし極限状態にある選手の行動は正しいか間違って
いるかは別としてそれなりに受け入れることの出来る
ものではないだろうか。

そういう行為を見て、鬼の首でもとったかのように、
以後応援する気にはなれなくなったとおっしゃる方
もおられるようだが、英雄に聖人君子を押し付けるのは
返って迷惑ではないだろうか。」


投稿者 テニスに死す 22:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

錦織圭

3月18日のGlobeの

Breakthrough「突破する力」に

錦織圭が特集されていた。

おそらくその記事を読まれたと思いますが

読んでいない方もおられるかもしれないので

ちょっと触れておきたいとおもいます。

唐突ですが、わたしは錦織には天使がついているのが

見えます。彼の背後には常に天使がいるのです。

皆さんは見えませんか?

世界中のどのテニスプレイヤーにもない

守護神のような存在が彼の背後にはいるのです。

もし見えないならあなたは盲目ですよ!

記事を書かれた稲垣康介氏は

今から4年前に錦織にインタービューを

されたときのことを、次のように

書いておられました。

4年まえ、ロンドンで錦織に初めて

インタービューした最後に、「小学校

を卒業する時に”日本一、次はその上、世界一”という

川柳を書いたことを覚えていますか?」と

訊ねたときに、錦織は

「ええ、覚えています。テニスをやめるまでに

世界のトップになりたいです」

大きな夢を持つことは若者の特権だ。でも、

さすがに世界一はどうかな。それが記者の率直な感想だっ

た。

しかし稲垣氏は言う、自分の掲げる自身の目標を次々に実

現する

最近の錦織の快進撃を見ると大言壮語とは感じられない

と、記しておられる。

最近のインディアン・ウエールズでの1回戦敗退などの

つまずきもあるが、自分の目標実現に関しての錦織の

「予感というか、手応えがなんとなくあるのです」という

錦織の言葉は、「わが意を得たり」という気持ちにさせて

くれる。

彼には守護霊というか、天使というか、何かがついてい

る、と言える。

彼の全てが世界一のオーラを放っている。それが見えない

人もいるかもしれないが。

ユニクロの柳井社長は「後光が差している。必ず、世界一

を狙える

選手です」と述べた。これは社長の身びいきではなく、ま

さに実感である

と思う。

皆さんは感じませんか、ありますよ。そのような雰囲気

が、錦織には。

世界の一流選手の他の誰にもない光が、彼には差してい

る。

それを感じることのできる人と、できない人がいるらしい。

皆さんはどちらですか?

選ばれた人にしかない光を錦織の背後に感じられません

か?

彼は常人であって、常人ではないのです。

そうなんです。わたしの言いたいことを分かってくれまし

たか?

錦織は天才なんです。天才を見抜くのはミーハーでしょう

か?

ミーハーの天才が天才を見抜くのかもしれませんね?

錦織が、記者の要望に応えて、自分が、過酷なプロテニス

の世界を生き抜く上で大事だと思う「力」の中で

錦織が選んだランク1は集中力、ランク2は持続力・忍耐

力、

ランク3は決断力だった。協調性は最下位でした。

すでに、子供時代に、サッカーも得意であったらしいが、

団体競技より

全てが自己責任で勝敗が決まるテニスを輪が進むべき道と

して選んだ

その選択には端倪すべからざるものがあると思う。

何かに導かれた選択であったと思う。

その何かとは、何か? そういう何かに

導かれるのが天才の自由であり、かつ宿命であるのだろ

う。

なにがあってもその宿命を見届けようではありませんか。








錦織圭 | 投稿者 テニスに死す 01:21 | コメント(0)| トラックバック(0)